『生きる』~主人公がブランコで歌を歌う有名なシーンに、いろいろなことを考えさせられた
あらすじ
“市役所の市民課長・渡辺は30年間無欠勤、事なかれ主義の模範的役人。ある日、渡辺は自分が胃癌で余命幾ばくもないと知る。絶望に陥った渡辺は、歓楽街をさまよい飲み慣れない酒を飲む。自分の人生とは一体何だったのか……。渡辺は人間が本当に生きるということの意味を考え始め、そして、初めて真剣に役所の申請書類に目を通す。そこで彼の目に留まったのが市民から出されていた下水溜まりの埋め立てと小公園建設に関する陳情書だった。”
出典元:映画.com
作品情報
監督:黒澤明
出演:志村喬
小田切みき
金子信雄
公開:1952年
感じたこと
これまで見たクロサワ作品(『羅生門』、『七人の侍』)とは全く違うテイスト。
ガンであることを知った主人公が死に至るまでの間に人生を振り返り、自分のできることは何かを考える。
胃ガンと診断されれば死を覚悟しなければならず、病気の告知もされなかった時代。
でも自分の死が近いとわかったら、自分は何ができるだろう。
それまで真面目一辺倒だったのに、突然飲み歩いたり、生命力にあふれた若い女性と一緒にいようとしたり。
特に同じ職場の若い事務員と出かけたりするのは、色ボケと思われても仕方がない状況だろう。
でも死が近づく中でもがくことで、残された短い時間に自分ができることを探し出していく。
見ている最中や見終わった直後よりも時間がたってからの方が、自分だったらどうするのか、死が迫った時にそれまでの自分の人生をどう思うのか、精いっぱい生きているのか…そんなことをいろいろ考えてしまう。
モノクロの画面も途中で全く気にならなくなる。
自分はちゃんと「生きている」のかを問いながら、毎日を過ごしていきたいと改めて感じた。