きすけろぐ

翻訳者きすけの頭のなか

原書で読むか、訳書で読むか

 

小説を読むのが趣味なわたし。

 

日本人作家の本は、新聞や雑誌の書評欄や広告などをみて面白そうなものをメモしたりするが、それだけでは偏ってしまうので、直木賞や芥川賞、本屋大賞などにノミネートされた本は、自分の好みかどうかはわからなくても読んでみる。

 

そこで、読んだことがなかった作家の作品がとても面白かったという素敵な出会いもあれば、半分くらい読んでもどうしても入り込めず、やっぱり無理…と思うものも当然ある。

 

外国人作家の本も書評をみたりするが、日本人作家ほどには取り上げられないので、前に読んで面白かった作家の作品を横に広げて読んでいくことが多い。

 

カズオ・イシグロやジェフリー・ディーヴァーは新刊を見つけると、必ず読む。

 

外国語作品に関しては、翻訳者で選んだりもする。

 

1冊の本の翻訳にかかる時間は長く、ひとりが訳せるキャパは限られているのだから、少なくともその翻訳者が面白いとかやってみたいとか思った作品であれば、読む価値はあるのでは、と期待してしまう。

 

ストーリーを追いやすいミステリーなどは、原書で読むこともある。

 

ただ、留学経験もなく、日常会話もつたないわたしは、論文やビジネス文書を読むよりも、軽い小説を読むほうがとても難しくて、苦労する。

 

スラングや、現地の人ならこどもでも知っているような単語がわからない。

 

これはリスニングでも当てはまり、ニュースは理解できるのに映画やドラマは聞き取れない。

CNNよりも、closerやERの方が私にとってずっと難しい。

 

小説でも、細かなニュアンスは、自分が思っている以上に読み取れていないのではないかと思うし、日本語の作品だったらすぐにわかる伏線なんかも、かなり見逃していると思う。

 

だからといってそのままにしておくのもなんだか悔しいので、同じ本を訳書→原書→訳書と繰り返してみることもある。

 

雰囲気を大事にしたい本を原書で読みたいという気持ちはあるものの、分野は違えど翻訳を仕事としているものとしては、いつかは翻訳であることを感じさせない訳文を生み出してみたいと、ひそかに夢を膨らませている。