きすけろぐ

翻訳者きすけの頭のなか

『海と毒薬』遠藤周作 <新潮文庫の100冊 2018> ~戦争末期に行われた捕虜に対する生体解剖事件。特殊な環境で起こった特殊な事件なのか。倫理観とは。

 

夏になると書店で無料配布している新潮文庫の100冊のパンフレット。

www.100satsu.com

 

本文から1文が抜き出され、短い文章で本が紹介されていて、パラパラ見るのを楽しみにしている。

 

新潮文庫にこだわっているわけではなくて、角川文庫のカドフェスでも集英社文庫のナツイチでもいいんだけど、なんとなく新潮文庫のシンプルさに惹かれて、毎年手元に置いている。

 

本を読むのは好きだけど、自分で選ぶ本はやっぱり偏りがあるし、全く違う視点で「これ、どうよ?」とお勧めされたものを先入観なしに読んで、その上で、「今まで知らなかったけど、この作者面白い!」とか「こんな世界もあるのか」とか「いや、やっぱり違うな、好きじゃないな」とかを自分で直接感じたいと思い、今年は新潮文庫100冊をできるだけ読んでみようと決意!

 

中には既に読んでいるものも結構あるけれど、この機会に再読して、改めてどう思うかを自分で感じてみたい。

 

夏は終わり秋になってしまったけれど、来年、2019年版が出るまで、どのくらいいけるかな。楽しみ。

 

そしてそのひとつめとして読んだのが、これ。

 

 

『海と毒薬』

著者:遠藤周作

発行年:1957年

 

 

あらすじ 

“戦争末期の恐るべき出来事――九州の大学付属病院における米軍捕虜の生体解剖事件を小説化、著者の念頭から絶えて離れることのない問い「日本人とはいかなる人間か」を追究する。解剖に参加した者は単なる異常者だったのか? どんな倫理的真空がこのような残虐行為に駆りたてたのか? 神なき日本人の“罪の意識”の不在の無気味さを描き、今なお背筋を凍らせる問題作。” 

出典元:新潮社

 

 

感じたこと 

『海と毒薬』は、国語便覧に載っていたのは覚えているが、シリアスすぎるだろうと思い込んで、読んでなかった。

 

九州大学で起きた実際の生体解剖事件をベースにしていることも今回初めて知った。

 

解剖には、戦時中の特殊な環境や軍の指示などがあったことは確かだろう。

しかし、それに至るまで描かれている過程は、実は特殊なものではなく、医療現場ではいまでも多かれ少なかれあることなのではないだろうか。

 

死に近づいている患者に対する強引な手術。

医者や病院の実績をあげるために行う手術。

 

人権に対する意識が変わっていく中で、この小説の舞台になっているようなあからさまな人命軽視はないと思いたいが、その状況を疑問に思う主人公の勝呂や、対照的に自己肯定していく戸田の言動に近い、医療者の対立する感情はあるだろうし、上からの指示が自分の良心に反する場合の葛藤は、医療現場だけでなく、幅広く起きるものだろう。

 

恐らく激しい後悔と自責の念、そしてすべてを間違いとは言い切れない揺れ動く気持ちとともに長年苦しんだであろう勝呂が過去を振り返った時に、あの時も仕方なかったし、これからも同じ状況になってしまったら、もう一度同じことをしてしまうかもしれないと述べたことが人間が感じる罪の意識、良心ってなんだろうと問いかけている気がする。